2009年12月27日日曜日

余過剰な余暇

椿の花をもぎって齧るのは自然な行為だと言える
鼻先に火をつけてタバコを吸うのも、また自然だと言える。
レガシィに乗って滝を見に行くのも自然だろう。
軽自動車に乗ってパチンコに行くのも、また自然だろう。
クリスマスに恋人と過ごすのもいいだろう。
いつもと変わらぬ日を過ごすのもいいだろう。
しかし、きっと誰かと一緒に過ごす方が幸せだろう。
たぶん、パチンコに行くより椿の香りの方が貴重な経験だろう。

緊張感のある時間を過ごすことも大事だろう。
気兼ねなく友達と話せる時間も大事だろう。

自分には何が足りないのだろう。
いや、何かが余りすぎてるのだろう。

“一切の不幸せは不足から生ずるのではなく、
有り余るところから生ずる”

余ったものが、足りていないものを食らうのか。

ゲーム脳

仮にゲーム脳(パチンコ脳ともいえる)という状態があるとして、それは悪い事なのだろうか。
否。

「ゲーム脳→堕落の時間」と安易にとるだけではダメだ。
みんな必死で生きようとしているのだから。

ゲーム脳はくだらない事を忘れさせる効果がある。
くだらない事が多すぎるし、あっさり割り切れるほど気持ちいい性格もしていない。
一人一人がこのつまらない社会に適応しようと必死でもがいているに違いない。

2009年12月17日木曜日

ぱーん

資本主義と技術革新は同時期に進化したため、資本主義の発達=技術革新と捉えてしまう。しかし、それは間違いだ。

例えば、3人の子どもを食べさせる為に毎日1斤のパンを確保しなければならない。
パン屋の売り上げが伸び税収も上がるとするのは資本主義的な発想だ。(親は閉店間際の味が落ちた安売り品を買いに行かざる終えないか、人生の大半をパン代に捧げてしまう。)
しあし、1台のホームベーカリーがあれば小麦代とわずかな経費だけで毎日焼きたてのパンを確保できる。(いまやホームベーカリーは食パンだけでなくうどん・パスタ・もちまでも作られるまでに進化している。)

2009年12月12日土曜日

経過

「風邪は治すものではない。
 風邪をひいた後には体が軽くなって爽快になる。
 風邪は通過するものだ。」

きっと、名言だ。

現代、心の風邪とも呼ばれているうつ病も経過するものだろう。
じっくりと経過し、静かに暮らすべき時だろう。

「雨降って地固まる。」の思想で。
個人的には、小学校以来から雨が降りっぱなしで止まないのは迷惑だ。

2

自分の直感を大事にしておきたい。
と誰もが思うが、
本を読んだり人の話を聞いているうちに直感の扉は閉まっていく。

かといって、一人よがりになりすぎてもダメだ。

きっと、死ぬまで直感と独裁の念の狭間で揺れ動くのだろう。
きっと、その二つの層のあいだに何かがあるのだろう。

2009年12月5日土曜日

算出方法

学校の数学では複利計算を学ぶことはあっても、税金の計算方法は学ぶことはない。
いや、学ぶ事が出来ない。

なぜならば、数学と違いそこには何の秩序も理論もないからだ。

そのことについて学問的に追求しないのは、
その学校の先生のサラリーも税金によって支払われていることと無関係ではないだろう。

悲しみの昼

いつも読んでいる犬のしっぽブログには本当に感心させられる。
例えば12月3日のブログだと、

「ノウハウがない正規労働者にも、
悲しい長い昼と
楽しい短い消費の夕暮れと夜がある。

消費がなかったら、
苦痛なほど退屈してしまうなら
すでに見えない牢獄の模範囚だ。」


自分では反逆者のスタンスで生きているつもりではいるが、俗に言う「まとも」とか「普通」のものを仮定して、単にそれと反対の事をしているだけの気がしてきた。もっと内から出る個性ってやつがほしい。が、求めれば求めるほど遠のいて行くだろう。

完全なオリジナルは絶賛されるべきだ。