2008年12月25日木曜日

「表現は内容を表さない」

「ごめんなさい」は「ありがとう」は気持ちを表しているとは限らないように。大男が気が小さかったり、ひょろっとした人が意外に気が強いところをもっていたり。
時に絵の空白に余韻を感じ、時に音と音の間が人の心を打つのものである。


(おい、笑うなよ。うっふん。)


2008年12月20日土曜日

科学的

科学的とは大まかに言って
「A=B,B=C,よってA=C」というものだろう。

だから、ダサイ。

理解

他人の気持ちはわからない。
それと同じように、自分の気持ちも他人にはわからない。
数々の思いに独り、浸るしかない。

2008年12月15日月曜日

町の催し

町の催し物で文化会館にいくと若者が少ないのは寂しいものだ。
かといってダサイ町の催しにくる若者もまた寂しいものだ。
過疎化した町の出会いは職場だけであろう。

美味しんぼの人のブログみた

やはりテレビは全く面白くない。
これはテレビが面白くなくなってきたのか、それとも見る側、つまり自分の感じ方が変わったのかどちらなのかはよく分からないが、ネットサーフィン(ネットサーフィンというとまあまあな言葉の雰囲気だけど)をしてると「美味しんぼ」(すごい一発変換できた。)の原作者の雁屋哲のブログを見ていたら、(シドニー子育て記)を読んで感嘆した。
そこには日本の学校教育の中で子どもを育てるのは自身の経験からも絶望していて一家7人でオーストラリアに移住して、二三年の移住のつもりが早二十年になるらしい。そこには、単純に日本から海外に移住するにあたっての様々な困難はある訳で、子ども(子は親を選べないとの理由)や奥さんに対して、「社会のシステムになじめない親(夫)にであって申し訳ない。」と言いつつも、「それは諦めてもらって」というあたりが可笑しいな。文化の違い、言葉の違いが書かれていてなかなか面白い。それと物書きは文章が上手やなあと感心するわ。

確かに子どもに寝るだけの授業に学校(受験教育)に通わせるのには何の意味を見い出せるのかが分からないし、特に田舎でだとシュタイナー教育なんかないし、経済的なもんからなかなか満足な環境というのはないかもしれんなあ。
たけど、理想の教育なんかはない。親が子を思う気持ちは人類みな共通だし普遍であるし、誰もが反省しながら失敗しながら進んでいくもんであろう。親不孝者のおれでも、最近ちょびっとでもそう思うな。
それにしても、そのシドニー子育て記にあったんやけど、
十五歳までには子どもには遊ぶこと、絵を描くこと、何か一つ楽器を覚えること、が親としての役割だ、(うる覚えなので不確かです)みたいな事があったけど大賛成だな。
うーん、でも勉強は全くできず、(どのくらい出来ないかというと中学校で小学校の勉強するし、まったく社会の事には興味を示さない)でも何かこう本能的な頭の良さが鋭くて、元気な人もいるし、よく分からんな。

人生も就職も迷走中のわたくしです。

2008年12月11日木曜日

もう

もうそろそろや。


2008年12月10日水曜日

真っ赤

確かに。
リンゴを食べたり&飲んだり&パッケージで見たりするけど、実際に木に実っているのは見た事がない。

2008年12月2日火曜日

師走

2008年も残すところわずか。
ニュースではネガティブなことばっかだけど、まあみなさん個人個人によっていろいろあるはずだ。

「メディアは新しいかたちのファシズムだ」とBeforeSunsetという映画のセリフにあったけど、本当にそうなってるのかもしれませんね。
そんことはさておき流行語大賞に「アラフォー」という言葉があったけど、なんのコトなのかさっぱりぱりんこだ。というか言葉からその意を推測する余地もないし、なんだか妙に居心地が悪い気分。YouTubeもなんだかワイド画面に対応してるし、しらないうちにいろいろと変わってましたわ。

そんなこんなも一年のことはきれいさっぱり忘れて、つまり私忘で師走(12月)を過ごしたいところだ。そんな私語で今年の最後の月を始めるのいいでしょう。